登入―――現代・日本―――
「……すごい。本当にリアルタイムで話してる」
由奈はスマホを持つ手をギュッと握りしめていた。
手のひらに汗が滲み、心臓が、ドク、ドク、と早鐘を打っている。「間違いなく王様に私の声が届いてる」
誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟いた。
信じられない。 けれど、事実だ。 自分の声が、画面の向こうの王様に届いている。しかし由奈は混乱していた。
小説の中の人物とリアルタイムで会話している?
そんなことがあり得るのか? これは夢なのか? それとも、何か別の現象なのか?由奈は、もう一度ページを読み返した。
指が震わせながら、画面をスクロールする。 そこには、『謎の声』というワードと共に、自分のセリフを彷彿とさせる文言が追加されていた。「説明・共感・感謝」
確かに自分が言った言葉だ。
そして、王様も自分の助言を実行してくれた。 シグルに、ちゃんと説明し、感謝を伝えた。由奈は、そのままコメント欄をスクロールした。
そこには、読者たちの反応が並んでいる。《謎の声のキャラ好き!》
《導き手ポジ面白い》 《正体誰!?》 《この声の主、絶対重要キャラだよね》 《次回が楽しみすぎる》(や、やっぱり……これ、私だよね!?)
由奈の胸が高鳴る。
自分の言葉が、物語の一部になっている。 そして読者たちが、自分の存在を楽しみにしている。 現実ではあり得ない、奇妙な感覚に少しだけ嬉しかった。さらに本文では、レオンが「名前は——」と尋ねかけていた。
そこで、シグルが戻ってきて、言葉が途切れている。 けれど、次があるならば、確実に自分の名前を聞かれるだろう。そこを読んだ瞬間、由奈の心臓がドクンと跳ねる。
(もし次に名前を聞かれたら……どうするの!?)
由奈は考えた。
現実の名前を出すのはむずがゆいし、身バレでもしたら厄介だ。 でも、匿名っぽい呼び名は必要だろう。 何か、「……じゃあ、家族の頭文字から取ろうかな」
AKIRA、YUNA、KANAME、ASUKA
その中から、彼女は「AYKA」を並べ替えて、「KAYA」という名前を決めた。(よし、今度聞かれたら……『カヤ』って答えよう)
そう決めた瞬間、由奈は妙な笑いをこらえきれなくなった。
(いや待って、なんか異世界ネーム感あってちょっとカッコよくない? 『導き手カヤ』とか、まるで隠れヒロインじゃない!)
小説オタク心が変な方向にテンションを上げ、由奈はスマホを抱きしめて小さく身悶えした。
「カヤ……カヤ……うん、悪くない!」
由奈は小さく頷いた。
そして、気を取り直して、画面に戻る。「とりあえず……王様、今度は后候補イベントよね」
由奈は作者のパターンを思い出しながら呟く。
「絶対やらかすわよ、この人のタイプなら。3人まとめて傷つけるような発言して、泥沼イベントに突入しそう……」
そこで由奈は気づいた。
もし本当にこのまま王様に『導き手カヤ』として自分の声が届くなら。「私が止めないと、前世と同じように王様は死んでしまうんじゃ……」
どこか自分の旦那と重ね合わせて見ているせいか、バッドエンドが待っているであろう後味の悪い展開に居ても立っても居られない。
由奈は決意した。
もはや小説を読んでいるだけの立場ではない。 王様の、そして王国の運命に関わっている。「でも……私なんかが本当に役に立つのかしら?」
胸の奥で、不安がじわじわと広がる。
自分はただの主婦で、特別なスキルなんて一つもない。 家事や子育ての経験はあっても、異世界の知識なんて小説でかじった程度だ。(旦那にも、本当は言いたいことがたくさんあった。家事の分担や育児に対しても。でも、口に出したことなんて一度もない。言葉で制されると分かっているから、喧嘩することすら諦めてきた)
由奈は、自分の人生を振り返った。
これまでの夫との関係。 言いたいことを飲み込んできた日々。 我慢してきた感情。 それらが積み重なって、今の自分がある。――そんな自分に、王様を導くなんてできるの?
ほかの転生モノみたいに『チート能力』があるわけでもない。
ただの読書好きの主婦。 だからこそ、足元がぐらぐらしているような不安が、どうしても拭えなかった。けれど、その時ふとした出来事を思い出した。
いつもは適当に教えていたのだが、あの日は違った。 息子の要に宿題を教えた時、丁寧に意識して諭すような口調にしてみた。 それだけで、要は笑ってこう言ってくれた。『ママ、昨日すごくわかりやすかった!』
その笑顔は、小さな自信をくれた。
自分の言葉が、誰かに届いた。 誰かを、少しだけ笑顔に変えた。(もしかして……私の言葉だって、誰かを変えられるのかもしれない)
そう思った瞬間、由奈の中でほんの少しだけ、勇気の芽が顔を出した。
翌日。
スマートフォンに更新通知が来た。『第3話 后候補との面談』
「やっぱり来た……」
由奈はフゥ、と深く息を吸い、第3話を開いた。
画面には、美しい3人の女性がレオンの前に立っている場面が描かれていた。(王様……絶対に変なこと言っちゃダメよ……!)
由奈は祈るような気持ちで、物語の続きを見守った。
――― 王宮 中庭 ――― レオンは、心の中でカヤに呼びかけた。『カヤ! 助けてくれ! 何を話せばいい!?』 その声は、まるで戦場で援軍を求めるような——いや、それ以上に切実だった。 しかし、レオンはハッとして足を止めた。(待て。約束では、カヤと話す時は私室か執務室のみ……) レオンは、後方のシグルに視線を送った。 シグルは、レオンの視線に気づきすぐに理解した。(陛下、もしかしてカヤ様と話したいのか?) シグルはわずかに頷いた。 そして、音を立てないように静かに、レオンのそばへ歩み寄った。「陛下」 シグルは声を落として呼びかけた。「どうぞ、遠慮なく。私が周囲に気を配ります」 レオンはすぐには答えなかった。 答える代わりに、シグルをじっと見つめた。「約束を破ることになる」「緊急事態です」 ためらいが混じった、低く絞り出したような声に、シグルは小さく笑った。「それに陛下のその表情を見れば、誰でも助けたくなります」 レオンは、少し顔を赤くした。「……感謝する」 シグルは、リディアの方に向き直った。「リディア様、少々お待ちください。陛下が庭園の様子を確認されております」「ええ、構いません」 リディアは、優雅に頷いた。 エルザは、その様子を鋭い目で観察していた。(陛下とシグル様……何か、話している?) 一方レオンは、シグルの配慮に感謝しながら、カヤに呼びかけた。『カヤ、頼む。助けてくれ……何を話せばいい?』 *** ――― 現実世界 小林家 リビング(同時刻)――― 由奈は、スマホを握りしめていた。 その時、小説の更新通知が来た。
――― 王宮 執務室――― 浄化儀式の日程が決まったその日、レオンにはもう一つの予定があった。 シグルが、予定表を手に尋ねた。「陛下、準備はよろしいですか」「……ああ」 レオンは、明らかに気が重そうだった。 その表情は、まるで戦場に向かう前のような——いや、戦場よりも緊張しているような表情だった。「リディア様との、初めての散策でございます」「わかっている」 レオンは小さくため息をついたつもりだったが、シグルには大きなため息に聞こえた。 シグルは、その様子を見て眉をひそめた。「陛下……あの、大丈夫ですか?」「……何がだ」「いえ、その……昨夜から、執務室で何度も独り言を言っておられたと聞きまして」「独り言?」「はい。『散策とは何だ』『会話を楽しむとは』『花について何を言えばいい』と……廊下まで聞こえていたそうです」「なっ……」 苦笑いを浮かべたシグルの言葉に、レオンはわずかに顔を赤くした。「……そうか、聞こえていたか」 レオンは、昨夜から悩んでいた。 戦術会議なら得意だ。 戦場なら、敵の動向が読めれば、自分の感覚を信じて剣を振るえばいい。 敵が100人いようが、1000人いようが、剣を振るえば解決する。 しかし――(「散策」で「会話を楽しむ」とは、一体どういうことなのか? 剣では解決できない……!) レオンの頭の中は、混乱していた。 シグルは、レオンの緊張した横顔を見て恐る恐る聞いてみる。「陛下。念のため、お聞きしますが……『散策』の意味は、ご理解されていますか?」「当然だ」 レオンは、即答した。「庭を歩くことだろう」「はい。それで、その間に?」「……歩く」「他には?」「景色を、見る?」 レオンの非常に自信のない返答にシグルは、深く息をついた。(やはり、何もわかっていない……!)「陛下。散策とは、お相手と会話を楽しみながら、親睦を深める時間でございます」「会話……」 レオンは、重々しく呟いた。 まるで『戦争』という言葉を聞いたかのような重さだった。「はい。リディア様のお話を聞いたり、陛下のことをお話ししたり……」「俺のことを? 何を話せばいい?」「例えば、陛下のお好きなものとか……」「好きなもの……」 レオンは、腕を組み真剣に考え込んだ。「……剣だな」「他には?」「
――― 異世界 王宮 執務室(夜)――― レオンは、一人窓の外を見つめていた。 月明かりが、彼の横顔を照らしている。 しかし、その表情はいつになく険しかった。 シグルは彼の後ろで息を潜め、王の決断を静かに待っていた。「シグル」「はい」 レオンは窓から目を離さず問う。「お前は、どう思う」 レオンの問いに、シグルは慎重に答えた。「……神官長の懸念は、理解できます」「そうか」 レオンの声は、どこか疲れているように聞こえた。「ただ……」 シグルは言葉を選んだ。 一瞬、躊躇するような間があった。「創造神を『異質なもの』と呼ぶことには、抵抗があります」 レオンは小さく笑った。「お前は、カヤを信じているんだな」「もちろんです」 シグルは即答した。 その声には、一点の迷いもない。「陛下を、ここまで導いてくださった方です。私は、カヤ様を信じております」 レオンは、窓の外に広がる星空を見上げた。 無数の星が、静かに瞬いている。(カヤ……お前は、どう思う?) レオンは目を閉じ、心の中でカヤに語りかけた。 レオンは、息を止めて数秒待った。 やがて——由奈の声が響いた。『……うん、聞こえる』 レオンの肩から、わずかに力が抜けた。(神官長が、お前のことを「異質なもの」だと言っている)『……そうだね』 由奈の声は、少し震えていた。 不安と、何か決意のようなものが混じっている。(浄化儀式、というものを提案された。お前はどう思う?) 由奈は、しばらく黙っていた。 レオンは、その沈黙を待った。 彼の手が、無意識に窓枠を握りしめている。 やがて、由奈の声が聞こえた。『……王様。浄化儀式受けて』(何?) 思いもしない返答に、レオンの眉が上がった。『ここで拒否したら、きっと神殿が敵に回る。セレスからの信頼も失って、民衆もあなたを恐れるようになる』 由奈の声は必死だった。 まるで、何かから守ろうとするような強い意志が感じられた。『こういう場合、そういう展開になりやすい。特に国を担う人が浄化を拒否すると、「悪神」と揶揄《やゆ》されて、味方が次々と離れていくわ』 レオンの表情が、複雑に歪んだ。(だが……)『お願い、信じて。この先の事は大体読めてる』 由奈は続けた。 その声は震えながらも、どこか確信
――― 異世界・アルカディア王国 神殿――― 白い大理石の柱が立ち並ぶ神殿の奥、厳かな祈祷室で神官長・オズワルドは、一人跪いて祈りを捧げていた。 彼の額には、うっすらと汗が浮かんでいる。 その目には、『祈り』というよりも『執着』に近い光が宿っていた。「……やはり、何かがいる」 オズワルドはゆっくりと目を開けた。 彼は最近、王の周辺に妙な「気配」を感じていた。 正確には、王が后候補たちとの面談を成功させた頃から——王の言動が、まるで別人のように変わった。 (あの方は、何かの巨大な力を得た) オズワルドの胸の内には、好奇心と羨望が渦巻いていた。(その力が何なのか、暴かねば) 彼は数日前から、密かに部下を使ってレオンとシグルの周辺を探らせていた。 しかし、決定的な証拠は掴めていない。(ならば、この目で確かめるしかない) オズワルドは祭壇に飾られている聖水に向かい、手を翳《かざ》した。 水面に静かに波紋が広がり、神聖な光が彼の手のひらから溢れ出す。 それは、通常は邪悪なものを探知するための神殿秘伝の術。 光は祭壇を越えて、王宮の方角へと流れていった。 そして—— オズワルドの目が、見開かれた。(これは……!) 光が映し出したのは、邪悪な闇ではなかった。 かといって、神々しい聖なる光でもなかった。 それは今まで見たことのない、不思議な光。 透明で、しかし確かに存在する。 温かくも冷たくもない、中立的な輝き。(何だ、これは……?) オズワルドの口元が、わずかに歪んだ。 期待と欲望に満ちた笑みだった。(これが、陛下に力を授けているものか。ならば……) オズワルドの心に、ある考えが芽生えた。この力を、自分も手に入れられるのではないか。 そんな可能性に、彼は心を躍らせた。(まずは、接触する機会を作らねば。そのためには……) オズワルドは、静かに立ち上がり、法衣の裾を払った。 「陛下のため」という大義名分さえあれば、近づくことは容易い。 ―――数日後の王宮・謁見の間――― オズワルドは、レオンとシグルの前に跪いていた。(ついに、この時が来た) オズワルドの胸の内では、期待が高まっていた。 しかし、表情は神官長としての厳かさを保っている。「陛下。どうしてもお伝えしたいお話があり、参上いたしました」
(あの頃の晃は……) 由奈は過去を思い出しながら、涙をこぼした。 迷いなく決断してくれた。 私の背中を押してくれた。 強くて、頼れる人だった。 でも、今は違う。 晃は迷っている。悩んでいる。弱っている。 (でも……) 由奈は机にスマホを置いた。 (いつから、自分たちは会話を無くしていったんだろう) ―――4年前 小林家リビング―――「ねえ、晃。要の習い事なんだけど……」「なに?」 晃はスマホから顔を上げず、いつものぶっきらぼうな口調で答えた。「サッカーと水泳、どっちがいいと思う?」「どっちでもいいだろ。お前が決めろ」「え、でも要はどっちもやりたいって言ってて……。サッカーはお友達もやってるからって言ってるし、水泳は近くに新しく出来たスポーツセンターで出来るし……。晃はどっちがいいと思う?」「だから、お前が決めていいって言ってるだろ」「……」「いつもそうだな」 晃はスマホの画面を切り、由奈に目を向ける。 その目はいつも以上に冷たかった。「夕飯何にする、旅行どこ行く、家具何買う——全部、俺に聞いてくる」「だって……晃が決めてくれた方が……」「そんなものも自分で決められないのか」 由奈は、その言葉に凍りついた。「……そ、それは」「俺はお前の上司じゃない。その位自分で考えて決めろ」 晃はそう言うと、部屋を出て行った。 由奈は、呆然とその場に座り込んだ。 私……間違ってた? 晃に決めてもらうのが、当たり前だと思ってた でも……晃は、それが嫌だったんだ それから、由奈は晃に何も聞かなくなった。 いや、聞けなくなった。 「自分で決めろ」と突き放されるように言われるのが怖かった。 だから、小さなことも大きなことも、全部一人で抱え込んだ。 そして、夫婦の会話はどんどん減っていった。 ――― 現在 小林家 リビング―――(あの日から……私たち、ちゃんと話してない) 由奈は、スマホの画面を見つめた。 先ほどのシグルの言ったセリフが蘇る。『あなたは変わったのではなく……成長されたのです』 『昔のあなたは、確かに迷いなく決断されました。しかし、それは他者を信じず、他者の痛みを理解しない、孤独な決断でもあった』 『今のあなたは、迷われ悩まれる。しかし、それは「相手の立場を想像し、人を信じられるようになった
―――現実世界 小林家 リビング(夜)――― 由奈はスマホを握りしめたまま、涙をこらえていた。 画面には、『アルカディア王国戦記』最新話の文字が表示されている。 シグルとレオンの過去——10年前、優柔不断だったシグルが、迷いなく決断する若きレオンに惹かれた話。(シグルさん……) 由奈の胸に、ある記憶が蘇った。(私も同じだった) ―――14年前 東京・派遣会社の事務所――― 当時、由奈は24歳。 大学卒業後、就職活動に失敗し派遣社員として働いていた。「派遣先のこの契約、来月で終了なんだけど……」 派遣会社の担当者が、申し訳なさそうに告げた。「次の仕事どうする? 地元に戻る? それともこのまま東京圏で探す?」 由奈は答えられなかった。「その……まだ、決めてないです」 実家は静岡。 両親は「戻ってきてもいいのよ」と言ってくれている。 東京《ここ》にはまだ可能性がある気がする。 でも、派遣を続けても先が見えない かと言って、地元に戻ってもやりたい仕事があるわけじゃない(どうすればいいんだろう。どっちを選んでも、何かを失う気がする) 由奈は、毎日同じ問いを自分に投げかけては、答えを先延ばしにしていた。*** ある金曜日の夜、派遣先の会社で送別会があった。 退職する同僚のための小さな飲み会。 由奈は隅のほうで、黙々とビールを飲んでいた。「ずいぶん、暗い顔してるな」 突然、隣に座った男が声をかけてきた。 晃だった。 同じ派遣会社から来ている技術職の男性。 仕事では何度か顔を合わせたことがあったが、まともに話すのは初めてだった。「……そう見えますか?」「ああ。何か悩んでるのか」 晃の口調はぶっきらぼうで、正直あまり感じが良くなかった。「まあ……も







